学んだことを活かせているか

たまに思うことの一つとして、自分は学んだことを活かせているのだろうか、ということ。

言い換えれば、自分は学んでいるのだろうか、ということ。

「学んだ」ということを、実践して検証することも含むのなら、自分は学んだというよりももっと手前の、聞いた、とか知った、というレベル止まりだと思う。

研修を受けて、なるほど、とそのときは思ったとしても、自分の言葉で、あるいは実感として行動に反映する、ということはなかなかできていない。

しかしどうやら、学ぶ人というのは、見聞きしたことを、次の行動に活かせる人のようだ。自分の嫁さんを見ているとそう思う。

俺自身、あれもこれもと欲張っていて、そのどれも自分の身になっていないように思う。それは時間が経つにつれ忘れてしまう脳みその構造と、忙しさや日々にかまけてフェードアウトしてしまうことの両輪に原因がある。

付け加えるのなら、自分が本当にそれを必要としていない、つまり動機づけされていない、ということも言えるのかもしれない。

そこまで言ってしまうと、じゃあ自分にその知見はいらないのでは、となる。

しかしそこで、我欲が出る。知ったことを活かさずしていいのか、と。

そうして時間が過ぎて何も身についた気がしなく、自己肯定感が削れるか忘却するだけ、その繰り返し。

ああ、虚しい。

 

で、終わるのは過去。

自分を客観視し、自分を知るのが今。

自分は何を学びたいのか、何のためにその学びを活かしたいのか。

目的なき学びは虚しいものだ。

それを見聞きしてそこにある意義というものを考えたい。

 

その意味で、過ぎ去っていくだけで終わらせてしまうのはもったいない。