ここ最近

この週末に割と質の高いインプットを得られた気分になっている。

4点ほど挙げられるかな。

 

1.クライアントを知る

コーチングの話。これまで僕の”癖”として、どうやって課題を解決するか、というHowに注力しがちであった。

「なるほどそれがクライアントの課題か(ピコーン)」→「じゃあどういうやり方が考えられるかな、こういう視点はどうかな」というように、後者のアイディア出し、ブレストに重点を置いていた。早く解決策にたどり着いてスッキリしたいからだ。

でもこれって自分本位だった。そしてそれを学んできた。

本来、相手のペースに合わせて会話を進めていく必要があり、忍耐が必要なのだ。クライアント自らが答えを出さないと成長にならない。そして、クライアント自らが答えを出すには、クライアントがその問題の本質に気づく必要がある。そのため、クライアントが最初に口にした課題が、必ずしも本当の課題ではないし、むしろそうしたことが殆どだろう。

だから、まずクライアントがなぜそれを課題だと考えるのかを、知る必要がある。コーチングはそこから始まる。その中で問いを投げかけ、少しずつクラアントの風景というものを明らかにする。

先日の練習では、これが比較的うまくいったようだ。”視点が変わった”という瞬間があったそうだ。僕自身も、クライアントのことを理解しようと務めていたし、風景という言葉が頭に浮かんでいたから、あの感触を忘れないようにしたい。

 

2.自分の思い込み

この本を読んだ。新しいことは書いていない。無意識に関する本だ。

思い込みを捨てて本当の人生を取り戻そう stop doing that sh*t

思い込みを捨てて本当の人生を取り戻そう stop doing that sh*t

 

ただ、これを読んでいたことで、自分にとっての思い込み、というか思いがちなこと、ってのは何だろう、ということを考えていた。大体こんなところだ。

自分自身についての思い込み:

  • 自分はダメなやつだ
  • 自分は頭が悪い
  • 自分は怠惰だ

他人に対する思い込み:

  • 他人は自分勝手だ
  • 他人は僕のことを嫌いだ
  • 他人は自分の利益のために僕のことを利用する

人生に対する思い込み:

  • 人生は無意味だ
  • 人生はただ流れていくだけだ
  • 人生は虚しい

要は、過去から作り上げてきたこうした(下らない)思い込みは全部捨ててしまえ、というものだ。僕の場合は、自分の人生に対して無気力になってしまっているのは、どんなに一瞬やる気になっても、毎日リセットしてこうしたメガネをかけて無気力、諦めの状態で人生を眺めているから、いつまでも抜け出せずぐるぐる停滞している、ということになる。

そうじゃなくて、未来から現在を生きろ、ということをこの本では語っている。未来のビジョンが今を規定する、とでも言えばいいのだろうか。

自分の無気力さの根本は、こうした過去に引きずられた鎖が原因なのだ、ということを突きつけられた気分である。

 

3.心理的な歪み

上の本を読んでいたから、自分を客観視しようという意識が働いていた。自分は自己肯定感が低い、自分に自身がない、だから自分自身についての、他人の、人生の、一連の鎖に繋がっていく。しかしそれはそもそもなんでなんだろう?

嫁さんはカウンセリングを勉強していて、ちょっと他人に置き換えた体で解き明かせないものかと聞いてみた。

すると、どうやら子供時代に、親に褒められたことがないとか、認められたことがないとか、そうしたことが根底にあるのではないか、という推測が出てきた。

出来て当たり前、出来なかったら自分はダメなやつ。出来ることよりも出来ないことに目が行きがちなのは、そうしたことが原因なのでは、と。

うーん。親に褒められた記憶。たしかにそうした記憶はないのかも。。?

父親は厳しい人であった。出来たことよりも出来ないことを出来るようにして完璧を目指す、そうした教育だった...かと言われたら、正直そこまで覚えていない。ということは、なんとなく厳しくはあったのだけど、そこまで強烈にこうだった、という思い出はないのか忘れたのか。

わがままに泣きじゃくっている妹を折檻として家の外に放り出した、ということはよく覚えている。あるいは怒られて泣いている妹をみて、自分にもっと妹を守る、言い返すような力があれば...という感情も覚えている。

こう思い出しながら書いてみると、なるほどやはり父親は厳しい面があり、僕は怒られないように良い子であろうと努めていた節がある。怒られないようにすること。つまり失敗を恐れた。褒められたい、というよりも、怒られたくない、があるのだろう。反抗期らしい反抗期もなかった。かといって、両親と仲良く喋る、今日何があったか話す、というのでもなかった。むしろ聞かれても邪魔くさい感じであった。

なので、怒られないようにしながらも、機嫌をとるよう迎合するということもなく、そうした要領で過ごしていたのかな。

反抗期はない、といったが、結局のところ遅れてそれはやってきた。早く家を出たい僕は、社会人になり配属先はとりあえずは家から通えてしまうのだが、仕事のことを考えると物理的にも家を出た方がよく、また精神的にも大人として家を出たかった。親元を離れて早く自立したかった。いつまでも親元にいるのが恥ずかしかったというのもある。そうした焦りに似たような感情を持つ時期があり、そこで父親とぶつかる夜というのもあった。思い返して見えれば、あれは僕の短い反抗期だったわけだ。

あと、父親をあまり好きではなかった。偉大な父、というのはなくて、むしろガッカリするような部分を見てしまったというのもあって、少し軽蔑していた時期もあった。

しかし時間が立つに連れて、父親の良いところも分かるようになり、その少し軽蔑してしまっていた点について、自分にもそういうところがあるな...とゲンナリと反省することもあり、徐々に父親に対する反発、というものも無くなってきた。一人の人間として見れるようになってきた、ということだろうか。とは言え話をしているとイライラするようなことはあるし悪い点を直してもらいたいが頑固だからと諦めている部分もある。

まあそういうことひっくるめて、理解してきたし、むしろ、あれ、実はこういうところ尊敬できるかも、という部分も見えてきた。これって遅いよね、、結局うっすら反抗期というものが実は残っていたのかな、僕はまだまだ子供だったのか...というようなことも考えてしまう。

話が長くなった。そんなこんなで、父親に認められている、という実感は、直接はない。そういう言葉をもらった記憶がない。だから、圧倒的に認めてもらう、というのが、実は目標になったりするのかもしれない、とかいま書きながら思っている。

なるほど。

自分を認めるためには、まず父親に認めてもらう必要があるようだ。ただ認めてもらうんじゃない。参った!と言わせられるくらいのことが必要だ。

それって何だろう。社会的肩書きと成功?うーん、そういう部分もあるだろうけど、それだけでは虚になる。社会的なものだけでなく、人間としての成長も認めてもらわないと、実にならない。

 

4.マネージャーに必要なこと

リーダーの仮面、という本を読んだ。なんだか刺さるものがあった。

そして社会人なりたての頃、自分自身の言葉を思い出した。

働くことの意味。それって、生きるために稼ぐことが原点にある。

いま世の中には働くことの意味がどんどん変わっている。お金に対する価値観もどんどん変わっている。

でも変わらないことは、人は食べないと生きていけない。最低限、衣食住を満たす必要があるってこと。

生きる力というのは、生き残っていく力であって、生き残っていく力、っていうのは、この衣食住を満たし続ける力があること。

 

この本は、人をプログラミングの一部のような、歯車のような、そういう機能的な面で捉えている。なぜなら社会とは集団であり、集団は人の集まりであり、人と人とが関わって社会は動いているのだけど、その関わりは、会社の利益によって繋がっている。故に、利益に貢献するために人は働かなくてはならず、そのためにはマネージャーが人をどう管理すると、それを実現できるか、とうものだ。

こう書くと無味乾燥しているし実際本書の内容はそうしたものだし、書いてある内容は資本主義におけるルールにあっては否定できるものでもないように思える。

誤解してはいけないのは、人は部品ではない。利益を出すには、人の成長が必要であり、マネージャーは部下の成長とチームの成果に責任を追う、というものだ。

非常に合理的である。言っている内容も分かる。しかしこの役割を徹底できるかは心身が試されるし、覚悟が必要だ。

褒めて伸ばそうとか、社員のモチベーションや満足度を考えようとか、そうした流れに風穴を開けるような内容だし、僕にとって衝撃的だった。けど何か真実性を感じられる。

プロフェッショナルのやり方の一つだ。日本の社会では馴れ合いになってしまいがちだから、むしろこうして徹した方が良いのだ、ということなのだろうか。

僕はマネージャーではないのだけど、参考にしたいと思える内容であったのも事実であり、本書に書かれている視点を自分の中に育ててみよう。