意義

働くということについて考えている。

自分の人生において仕事、というのは7割くらいを占めてきた。結婚する前は8割近いかも。
子供ができてからは、5-6割位に落ち着いてきている感触がある。

 

仕事とは社会とのつながりであり、社会的に自分の活動が何らかの形で社会に参加していることを示している。

そこで生まれる意義や価値というものが自分の仕事やそれに対するアウトプットに対してつくわけで、そうして給料を得て生活ができている。

ここで、仕事の形、というのは実に様々であり、若い時にはそういうことをあまり考えることもなくただ目の前の仕事に一所懸命であった。

2020年あたりから、そうしたことを考えるようになった。

風の時代、とはよく聞くが、個人という単位で考える傾向が増す中で、会社という組織の中で、自己実現ができているか、ということに疑問を持つ。

具体的に言えば、会社のビジネスに対して、いかに自分のベクトルが一致しているか、あるは自分のやっていることにいかに価値を感じられているか。

これまで一つの方向で頑張っていたところ、その方向は行き止まりであり、自分のキャリアとして管理職を考えた時、現在の管理職のワークライフバランスは破綻している。

その働き方を自分に当てはめても、まず家庭が崩壊しそうだ。

優先順位は家庭にあるので、そうすると家族やプライベートの時間をしっかり守れる、コントロールできる仕事をしたい。
管理職になったとき、それができるだろうか?

そもそもの話として、いまの仕事はコントロールできない部分が多い。だからタフであり、その反面待遇も比較的良いと思う。

つまり、待遇かワークライフバランスか。

まあ後者だろう。

すると、ワークライフバランスを実現するための要素とは何か。

  • 仕事をコントロールでき家族/プライベートの時間を確保できること。
  • 心の余裕を常に持つことができる、適度な負荷の仕事内容
  • ホワイトな職場と会社

さらに言えば、仕事の価値を実感しながら働きたい。

 

話は変わるが、今日ニュース番組で、生活に困窮し、寝泊まりする家もない、Wifiが繋がらないと社会からつまはじきに合うような状況、家庭の事情により進学を諦め就職する子供、あるいは教育を受けられない子供たち、など、経済的な理由で困難を受けている人たちを見た。
そうした人たちに寄り添い、支援をするNPOの人たちをみて、彼彼女らの仕事は立派だと思った。

社会からこぼれ落ちていく人たちを手助けする仕事。そういう仕事に社会的な意義や価値を見出すし、そうした活動に興味を抱く。

これは外から見ているからそう綺麗に見てしまうのだろうか?

自分のやっている仕事が社会的に意味のないことだとは思わないし、むしろその逆で、社会を支える仕事だとは思う。しかしそれはビジネスを支える仕事であり、ビジネスとは、この資本主義の競争における成長を支える仕事だ。

しかしそもそもその社会のありように歪みがあり、格差は広がり先のようにこぼれ落ちていく人が増加していき、一方で豊かさを享受している人たちもいる。

この両者の違いは一体なんなのか。生まれた家庭が裕福だったか否か、というのも大きいだろうし、そもそも現在の社会が弱者に厳しい面を持っている。

成長を求めることは、必然的に競争を生む。結局人は人と比べてしまうからだ。

そうではなく、比べても仕方のないこと。比べようのないことにこそ、価値があり、そこに社会的価値を置く必要があるのではないか。経済的安定を生み出すビジネスの成長、は無視できない。が、第一目的がそれで固定されると、生きる意義が変わってしまう。

その人なりの幸せだったり、他者への寛容さや優しさだったり、お金以外で生まれる心の余裕。

そういった人間的資産に目を向けたい。

そして、根っこに潜むのは、尊厳だ。それぞれ、個人としての尊厳。
自分の尊厳と同じように他者の尊厳も大切にできる社会。

そうした活動に携われるなら、それは自分にとっての意義になるし、そうした仕事に興味もある。

そしてその仕事で生活の安定も得られることが同時に大切でもある。

なぜなら優先順位に家族がいるからだ。

 

現在のライフはわかった、ワークをどうデザインできるか。