病んでいる

「私は病んでいる、そう伝えてもらった方が良い」

そう、妻は言った。

 

妻はここずっと不安定で、イヤイヤ期の娘の癇癪に耐えきれず、娘に「⚪︎ね!」と言い放った夜があった。
それは強烈に不快な言葉であり、自分でもそれをきっかけに、しばらく中断していたカウンセリングを再開した。
その結果、自分の幼少期の体験が心の傷として残り、人格形成に影響をした、という原因に至っている。
それを癒していく作業が必要なのだ。

そうした事情を抱えながら、同時に女性特有のものの影響も強い身体である。
気分や感情がそのリズムに影響され、頭の中はごちゃごちゃになる。
そこへ子供の対応や家事のことが入ってくると、もはやパニックに近い状態になるという。

自分のことで精一杯で、子供のことでいっぱいいっぱい。そこに親戚付き合いは無理。

家族旅行を計画していて、私の親以外、兄弟家族も来るかも、という状況が、彼女にとって大きな負担となるのだ。
多人数の状況が苦手で、楽しくないし、どっと疲れる。だから避けたい。
その上、カウンセリングが必要な状況だ。

今回が最後だ、と彼女はいう。

私はとても悲しい。
親戚付き合いが当たり前の環境で育った。
子供ができて、そうした家族イベントは当たり前にできるものだと思っていた。
しかし、そうはならなかった。

 

私の親には、大人数が苦手であること、病んでいるということ、そうしたことを伝えてもらった方が良い、と涙ながらに彼女は言った。

なんで人と生きていくのがこんなに辛いのだろう、とも溢した。

子供に申し訳ない。自分の小さい頃を通して子供を見てしまう。自分と同じようにならないように、子供に接したいのに。そのプレッシャーとしんどさ。
彼女にとって、普通と思うことは、実は普通ではないのだ、ということを知る。

 

大切にされないと頑張れない

妻はカウンセリングを受けている。

自身もカウンセリングを学んでいたこともあり、自己分析が深いところまで進んでいる。そして、自身のもつ深い心の傷のところまで、カウンセリング通じて到達している。

その内容と、彼女の趣味は深いところで繋がっている、というのが分かってきたようだ。

彼女はもともと一人で没頭するタイプで、一人の時間がないと息苦しくなる。
だから、週末は、まとまった一人の時間が必要だ。

そこで、問題が生じる。

週末は家族で過ごしたい、家族で遊びたい、そういう時間を増やしたいと思っている私。
あるいは、私も一人の時間が日中欲しいと思っている ... これは、彼女が一人時間を得ていることへの嫉妬心からかもしれない。

平日は仕事があるので、夜子供の相手をすることに対して、妻の方が子供と接する時間が多いのと、子供の欲求などの結びつきも妻が多いので、負担は妻の方が多いのはある。
しかし、少しでも負担を軽減するよう、私なりにケアはしているつもりではいる。勿論、女性目線では足りないのだろう。

それでも、彼女のストレスは溜まるので、週末に一人時間が必要、ということになる。
それも、彼女優先の意見だ。私は聞き側だから、

一人時間が必要なのは理解する。が、家族で遊びにいく時間も、彼女がいくなら、私の一人時間も、それぞれ欲しい、と思ってしまう。

妻は自分のこと優先、自分のことばかり。

そんな暗い感情がぐるぐると胸の内を重くする。このムードを切り替えられない。暗くなる。

そういう自分が嫌だ。嫌いない自分にどんどんなっていく。流されるまま。

こうしたネガティブ思考すらも、妻の影響だと思ってしまう位だ。これは他責思考の彼女のことを知っているからこそ、私もそれに引っ張られて共振してしまっている、かのような。そう思うこと自体、私の弱さだ。

彼女が彼女の都合を言う。それを聞いた時、それをトリガーとしてぐるぐると暗い感情に支配される。頭の中では、もう心が疲れた、離婚も辞さない、妻と一緒にいると自分のことが嫌いになる、など後ろ向きの言葉ばかりが出てくる。それでまた重くなる。

「できればこうしたいのだけど、どうかな。」

そんな聞き方だけで、まったく印象が変わる。
相手を尊重した言い方。それがまったくない。
私のことよりも自分のこと。そういう考えなのだろうと思ってしまう。

そこで、、こう思うのだ。

私は大切にされたい。大切にされないと、頑張れない。

 

心がどんどん狭くなっていく。器がどんどん小さくなっていく。
そういう嫌なムードに支配される。それが生活の中で度々発生する。
大切にしてくれる人と関わりたい。
私を大切にしてくれる人と過ごしたい。

なんだか危険なセリフだ。

相手を大切にしてこそ、自分が大切にされる。
そういう場合もあるはずで。

自分の思いを伝えてみることから始めないといけない。
相手が壊れてしまわないか、というのが懸念なのだ。
これって相手を信頼していない、とも言えるのだろうか。

 

自分の悪い感情に負けずに、まず相手を大切にする。そういう心の修行である。

 

繰り返す悩みと葛藤と、そのAnswer

最近、ショッキングなニュースが2つあった。

一つは、直接的に関わることはほとんどなかったが、陰で組織を支え矛にも盾にもなってくれていた人が亡くなった。突然のことだった。
個人的な接点はほとんどなく、一度だけ one on one をさせて頂く機会があった。
それは2022年の末だった。前年の末には育児休暇を取得していたので機会を逃したが、2022末にいただいた機会。
悩みを相談させていただいた。現在担当する仕事がシュリンクしていく不安、家庭における育児の負担とそれに伴う妻の不安定さ。そこからくる仕事へのコミットの低下。
その人の答えは、妻を調教する、というような過激な発言であった。それは半分冗談のトーンではあり例えるなら、というところだが、実際に自分の経験から仕事に邁進するにおいて、妻に任せなければいけない状況は避けられないので、そこはしっかり任せるし、そうした状況にフィットしてもらう必要があるということ、と受け取った。
我が家でそれは可能なのだろうか。その家庭における負荷に妻は耐えられないのが現状だと思う。
だから自分の働き方をコントロールする必要がある。

もう一つは、同じチームで働く同期が、他の部署へ異動願いを出したこと。
関係者にその点について本人から話をして筋を通してはくれた。
私は複雑な気持ちではあるものの、本人には前向きな話なので応援しよう。
というか、私自身も面白いと思えるものをやりたいと思っているし、それを見つけてチャレンジするチャンスを得たことは、純粋に羨ましい。

この2つ目のニュースが、私の心を揺さぶる。
心に沈澱して消えることのない悩み。
終わりゆく業務とチームに身を委ねている状況から脱したい。
もっと前向きに仕事をしたいし、面白いと思える仕事をしたい。没頭できるものが欲しい。
ここに残り続けていて、自分の成長を実感していない。心が死んでいくようだ。
周りからは沈没船と言われ続け、次どうするのと言われ続け、それに対する答えが無い状況がしんどい。
自分で道を切り開けていない無力感。

このままではいけない、と思い続け、しかし具体的に状況を打開できない。
日々の妻の調子に、自分の気分やコンディションも左右され、優先順位が変わり続ける。
それを理由に、長期的な課題を棚上げする。

過去を紐解いていくと、最初に一人抜けていった時と同じ心境だ。

モチベーション - spring_saku_haruのブログ

4年前の記事。4年間同じ状況なのか?

俺は俺のやり方でやりたいし、そのやり方が認められてほしいし、結果的にそう合ってほしい。

この一文に対して、成果は出ていると言える。
ひょんなことからProjectに入り、そこの一つのチームをリードしアウトプットを出していること、勉強会をリードし好評を得たこと。
その活動を通して、アワードと金一封を頂けたこと。
Manager陣からの評価が割と高いこと。

認められていること、必要とされていること、というのは有り難い事だ。

嬉しいことではあるのだが、一過性のものであると思ってしまう淡白な自分もいる。
人から評価されて嬉しい、しかしそれは一時的なものであり、人の評価で自分の気持ちが一喜一憂していることは否定できないものの、虚しさが残る。

私自身が何を成したのか。

リーダーとして物事をまとめる、すすめていく、成果を出す。これは出来ているようだ。

ここへの自分の評価が低いのか?何が不満なのだろう。
スーパーマンになりたい。自分でプログラミングしてプロダクトを作って成功を収める。
要は、自分一人で達成したと思えるものが欲しい。
しかしそれは社会においてはたかが知れている。人と協力しないと大きなことは成し得ない。
だから、副業のコーチングを成功させないと、そこのピースは埋まらないのではないか。
副業に関して活動がコミットできていない。ただそれだけだ。それだから何の結果も得られないし、自己効力感も上がらない。

  • 仕事ではリーダーとして人と協力して事を成していく。
    副業では個人の力を磨いて自分の力で事を成していく。
  • これが自己実現のバランスをとる解なのだろう。

それは今の職場ではできないことか?新しい職場が必要か?
Yes and No 両方だ。
今の職場でもできることであるが、終わっていくチームという目からは逃れないし、その影響でネガティブモードのスイッチが入ってしまう。

自分の気持ちはどうか?

まぁ新しい環境にいきたいよね。マンネリ化しているしコンフォートゾーンだし、溌剌とはいかない。

 

先ほど2020年の記事を発端に、この4年間の気持ちの軌跡を振り返る。

 

2021年

この時期には意味がある - spring_saku_haruのブログ

私は自由を欲する。自由を感じる手段として、「旅」であったり「作る」ということを欲する。その過程で潑剌とした楽しさ、というものを得るのだ。

ただ単に作る、だけでは物足りなく、そこには反応が欲しい。それは自己効力感をそこに感じるからだ。誰かに喜んでもらえること、それが私には必要なのだ。

少し脱線:

カウンセリングの一端 - spring_saku_haruのブログ

自分で決めた目標が達成した時の喜びは実は小さくて、むしろ自分ではコントロールできないところで発生した喜びの方が大きい気がする。

そうした偶然の輝きの瞬間があるからこそ、人生は面白いんじゃないか、とすら思う。

ストレングスファインダー的には、適応性と運命思考の掛け算なのかもしれない。

そんな話を嫁さんにしたら、それは自分ではなく外側に価値を見出しているのかもしれない、という視点を持った。

嫁さんは、自分で決めた目標を達成したことに喜びを感じるタイプであり、もちろん偶然の喜びもあり他の人が喜んでいることも嬉しいし、と、喜びが多い。その分悲しみも同じくらい多い。

で、そこから思うのは、僕は自分コントロールの喜びというのが相対的に低くて、自分コントロール外の喜びの方が大きいと言うことだ。

自分で決めたことはできて当たり前、的な傾向があるのかもしれない。勿論、出来ていないことは沢山あるのだけど。

こうした、自分に関する発見が面白いと思うのは、自分に対する感度が低いからではないか、と思う様になった。すると、プロのカウンセリングとの対話で、自分を発見する、ということが良いかもしれないとアドバイスしくてれた嫁さん。なるほどです。。

キャリア - spring_saku_haruのブログ

先々を考えて先細りしていった時に、この先自分がどうしていくのか。仕事、ひいては生活や家族をどう支えていくつもりなのか、その責務をどう全うするのか、ということだ。これに対して私の答えは、ない。先を見据えていま行動しているということがないからだ。もっと言えば、先を考えた時に自分が何をしたいか、というものが明確にないからだ。

この問題はずっと続いている。

彼としては、考えても答えがでないことは多くある。1日考えて答えがでないことはどれだけ時間をかけても答えが出ないし、考え続けること自体は時間の無駄だと考えるから、答えは1日の内に出し、出した答えで行動あるのみ、という。

 

2022年

八方塞がり? - spring_saku_haruのブログ

行動でしか悩みは解決しないのだと何度も言い聞かせているのだが、安全地帯から動けない自分がいる。

守りに入っている。新しい環境、と言いながら、自分を向上させたい、と言いながらも、いまの自分と居場所を守っている。潜在的に変化を恐れている。

どこを見て仕事をするのか。どんな自分を望むのか。

どうにもこうにも、今の仕事における自分の未来像が描けないのだ。辛さが優先してしまう。楽しさが小さい。

have to が常に付き纏うからだ。そこを解決できていないし、仕事上それは常にそこにある。

使命感、それが色褪せてしまった。

自分の本音とwantを探した時、こんなにも自分は流れに乗ってきたんだなぁ、と振り返って思う。

そろそろ - spring_saku_haruのブログ

2021年、人に任せて、自分は後ろから、というスタンスを経験したが、辛い感じもあった。ああしたい、こうしたい、という自分のやり方をぐっと押さえること。しかし「かくあるべき」というところは伝わらないし実現しない。

2022年、チームをどうしたいか、というところについてもう一度チャレンジする必要があるだろうか。自分のwantや本音は何かと考えた時に、なかなか出てこないのだが、ずっとくすぶっているのは「メンバーそれぞれが主体的に関わり、より良いものを作っていく」という関係性と実現力のあるチームになること、がある。

2023年

繰り返し - spring_saku_haruのブログ

似たようなことを繰り返している気がする。

  1. 仕事の悩み
  2. 自分がどうしたいか
  3. 仕事と家庭のバランスと時間の分配
  4. 家庭における課題

青い鳥 - spring_saku_haruのブログ

仕事は忙しくなり、プライベートでは国内旅行をひょんなことから一人で行き。

それなりに充実している。

するとどうだろう、現状が多少充実すると、それで多少満足している自分がいる。

新しい動きをしようとか、転職しようとか、そういう方向へのモチベーションが落ち着いてしまった感がある。

だが再び同じ気持ちになるだろう。いま良くてもまた訪れるのだ。

(中略)

負荷をかけずに程々に行う、という頑張らないやり方をしている自覚があり、それによって具体的な向上心というものが芽吹かないような。

これは目標の欠如であり、モラトリアムを過ごしているようだ。それ故の自身の減少。

だから環境を変える、という選択に至るのだが、私が得たい目標とは何だろうか。

何かに取り組んでいたい、しかしその魅力的な何かがない。

 

ここまで書いてふと思ったが、青い鳥症候群にかかっているのかも。

ミッドライフクライシスに青い鳥症候群

 

はてさて。私は自分をどうしたい?

コーチング前とコーチング後 - spring_saku_haruのブログ

3ヶ月後どうなったか?

仕事では副次的に新しいプロジェクトに参加することになり、役割を与えられてやることができた。
プライベートでは車を買って、自由が広がりウキウキしている。
砂丘を上がった先には、確かに違う風景が広がっていた。
そして3ヶ月後の私が引いたカードは、雨上がりの街にかかる虹、の絵だった。
砂漠はすぎ、雨があがり、街に活気が戻り、幸福を予感させる虹がかかっている。
占いのタロットではない。
自分で自分を導いていく。確実に前に進んでいる。動き出した自分の背中を押してあげよう。

2023年大晦日 - spring_saku_haruのブログ

少し話は変わるが、時の流れを振り返ると、子供が生まれてからこれまでの二年間は、家庭優先の気持ちが高かった。だからワークライフバランスの意識も高かったし、職場における自分の動き方もそれに連動していた。

一方で、これによって自分のスキル向上といった自己実現的な意識が薄れてしまった。正確に言うと、意識はありつつも、手が動かない、集中できない、スキル向上の行動が伴わない、という課題だ。

もう一つ、コーチングを受けて以降、自分の振り返りというものはあまりしなくなった。思考停止というか、目の前のことを対応していくことに比重が傾き、不安が少なくなった。それは、新しいプロジェクトで周りから良く言ってくれるような事が増えたから、それで満足してしまっているのかもしれない。この周囲の評価が一定あることによる、現状への満足。それによる慢心、スキル向上に対するサボり。

このもつれを解きたい。

そのためには、成長している実感と自信が必要だ。前に進んでいる実感。そして継続の力。
来年の課題はもう見えているのだ。

2024年

どうしたい? - spring_saku_haruのブログ

役割をもらうとか、立場をもらうとか、そうしたことで自ら動けるようになる。
しかしそれを受け身と捉えることもできる。
自ら動いて掴むこと。この行動力が自分の課題である。
その行動力の源泉として、「私はどうしたい?」がある。

自分の欲求、自分の気持ちに素直になる練習が必要だ。
私が私のことを認めるには、自分の成長、進歩、その積み重ね、これを実感していたい。
私はどうしたい。何のためにそうしたい。

精神の伴走者を探せ - spring_saku_haruのブログ

必要な状況にならないと、身が入らない。
そんな身が締まらない時に、精神の伴走者がいると心強い。

「あの人だったら、こう考えるだろう。こう行動するだろう。こう律するだろう。」

尊敬し、あの人のようになりたい。そう思える人。
そうした人物を、心の中に留めていたいのだ。

 

長くなってしまった。ただ、螺旋状に階段を登ってきたようにも思う。

この4年間、家庭の課題を抱えながら、やれることをやってきた。
同じ悩みを抱えながらも、前に進み評価される場面もしっかり持てている。
チームに対するスタンスも変化があり、適度な距離感と各個人に任せる状況を持てている。(まだ口を出してしまうことはあるが、伝え方の工夫余地あり)

これも、一人チームが抜けることでまた変わってしまうのだろう。しかしその変化は拒めない。

そして、この4年間持ち続けてきた悩みにケリをつける時がやってきたと思う。
自ら変化を起こすこと、それを持続的に行うこと、その2つは私にとって苦手ではある。
流れに乗っていた方が簡単だ。
しかし4年間流れに乗っていた結果、根本的な悩みは抱えたままであった。
そろそろ次へ進もう。本当に。思考・検討フェーズから脱する。

  • まず、いま担当している新規事業とプロジェクトの仕事をしっかり形にすること。
  • それをしながら、次の環境を見つける。
  • 職務経歴書を完成させ実際に転職エージェントにあったり企業の面接を受けたりする。

今年は行動の年だ。

精神の伴走者を探せ

私は自分に甘い。一度休むとずっと休んでしまう。立ち上がるのに時間がかかる。

緊張の糸が続いているときは、特に深く考えることなく物事を続けていられる。それが当たり前だからだ。

しかし、一旦休んだり、立ち止まったりすると、そこから再び走り出すことが難しい。

休み癖がつき再開できなくなる。

 

やらなくて済む状態が続くと、状況に慣れてしまう。

焦る自分は隅っこにいるものの、楽な方を選ぶ。選び続ける。

それが普通になり、自堕落となる。

 

ところで、「いつでもチャンスを掴めるように、常に準備をしておけ」というような言葉がある。

これは、チャンスはいつ訪れるかわからないが、目の前に現れたときに、パッと掴めるように、いつでも対応できるよう準備しておくこと。言い換えれば、自分がなりたいもの、なりたいポジション、それにいつ成っても恥ずかしくないよう、普段から自分を鍛え成長しておくべし、ということだと理解している。

 

全くだ。

全く何も準備していない。

必要な状況にならないと、身が入らない。

そんな身が締まらない時に、精神の伴走者がいると心強い。

「あの人だったら、こう考えるだろう。こう行動するだろう。こう律するだろう。」

尊敬し、あの人のようになりたい。そう思える人。

そうした人物を、心の中に留めていたいのだ。

 

どうしたい?

2024年はどうしたい、自分。

 

この冬の時期は妻の気力も体力も低下し、感情的で難しい状況が増える。

それに影響されて私自身も疲れるしテンションが落ちる。

そう、いま正に気持ちが落ち込んでいる。

 

仕事でも難しい状況に直面しており、それに関してはできることをやっていくしかないのだけども、イベント参加に関して行っても行かなくても良いな、というトーンで、でも普段会えない人が集まる機会だから行こうかな、と思っていた。

ただ、昨今の感染状況によって家庭にコロナやインフルを持ち込むリスクは避けたいし、行くのもちょっと面倒だし、というところで見送った。その代わり同僚にその席を譲った。

とあるプロジェクトに二人は入っており、自分でもなんだけど私はリードしている立場、同僚は休みも多く関わることができていない立場。

しかしイベントも、同日にあるそのプロジェクトの現地の集まりも、私の代わりに同僚が行く。

私は自ら手放したくせに、何か機会を手放したように感じられ、とてもモヤモヤしている。

後悔しているのか?

では実際に行くとなると、面倒な気持ちも大きい。

こうしたどっちつかずの自分が、とても悲しくなる。テンションが下がる。

パリッと決めて後悔しないでいたい。心を強く持ちたい。

私は一体、どうしたいのだ?

 

役割をもらうとか、立場をもらうとか、そうしたことで自ら動けるようになる。

しかしそれを受け身と捉えることもできる。

自ら動いて掴むこと。この行動力が自分の課題である。

その行動力の源泉として、「私はどうしたい?」がある。

 

自分の欲求、自分の気持ちに素直になる練習が必要だ。

私が私のことを認めるには、自分の成長、進歩、その積み重ね、これを実感していたい。

私はどうしたい。何のためにそうしたい。

自分すごい、と自分を認めるために...。というのは違う気がする。自分にしか向いていないし、それでは続かないのは分かっているはずだ。

外との繋がりで何があるだろう。

 

 

2023年大晦日

簡単に今年を振り返る。

 

  1. 2022年が評価されアワードとして海外出張
  2. 重めの案件対応
  3. 本業とは別に、有志が参加する新プロジェクトへの参加
  4. そこでまさかの会のリードと一つのチームのリード
  5. 年内最後までそれを走り続ける
  6. それとは別に、会社のインターンプログラムによる受け入れ対応
  7. コロナにかかる
  8. 憩室炎を患う
  9. 仕事のオペレーション変更、チームリードとして運営サポートを主としてそのまま、他の業務への対応の比重を上げる。
  10. 鼻の手術で味覚が回復
  11. 職場のクリーンナップ作業
  12. 娘が緊急入院x2

 

 

公私ともに色々とあった。体調を崩すことが度々あったし、娘の入院も大変だった。
特に大変なのは妻だ。娘への付き添いが特に。

健康面は本当に大事だ。身体が資本、自分の身体の管理をしっかりする必要がある。
そして仕事面で自分のスキル向上。

 

  • 定期的な出社による体調と集中力の回復、そしてボディコントロール
  • 怠け癖による自己学習阻害を立ち直す必要がある。スキルがないと達成できない。スキルをとにかく身につけよ。

 

パッと思いつくのはこの点だ。

 

少し話は変わるが、時の流れを振り返ると、子供が生まれてからこれまでの二年間は、家庭優先の気持ちが高かった。だからワークライフバランスの意識も高かったし、職場における自分の動き方もそれに連動していた。

一方で、これによって自分のスキル向上といった自己実現的な意識が薄れてしまった。正確に言うと、意識はありつつも、手が動かない、集中できない、スキル向上の行動が伴わない、という課題だ。

もう一つ、コーチングを受けて以降、自分の振り返りというものはあまりしなくなった。思考停止というか、目の前のことを対応していくことに比重が傾き、不安が少なくなった。それは、新しいプロジェクトで周りから良く言ってくれるような事が増えたから、それで満足してしまっているのかもしれない。この周囲の評価が一定あることによる、現状への満足。それによる慢心、スキル向上に対するサボり。

 

このもつれを解きたい。

そのためには、成長している実感と自信が必要だ。前に進んでいる実感。そして継続の力。

来年の課題はもう見えているのだ。

 

そんなことを思いつつ、みなさま良いお年をお迎えくださいませ。

コーチング前とコーチング後

車を買ったことで心が充実している。

その前に触れておくことがある。人生で初めてお金を払ってコーチングを受けたことだ。

 

以前から気になっていたコーチで、3ヶ月のプログラムでコーチングを受けた。

色々な引き出しを持っている方で、コーチングの組み立ての中で流れが止まってしまうような場面があっても、技を持っているので詰まることはない。

また考えることを促進させるために、ツールを使って発想を広げることもされている。

こうした多彩なアプローチは勉強になる。

具体的には points of you というフレームワークで、絵を使って思考の枠をなくして自由な発想・イメージから物事を捉えていくというものだ。

私はそのなかで、砂漠と砂丘に続く砂の上の足跡、その上に広がる青空の写真を選んだ。

3ヶ月前は、どこを目指しているのか何をしたいのかも自分ではわからないような、ふんずまった感覚を持っていた。

そこから抜け出したい気持ちが強く、でもどうすれば良いかもわからない。

そんなときにコーチングに頼り、何か糸口を見つけたかった。

そこにフィットするのが、先ほどの写真だ。

どこに続くのかわからない砂漠の真ん中で、しんどさに耐えながら前に進んでいる姿。私はその当事者で、そして俯瞰してみたときに、その砂丘を超えた先に、何か違う景色が広がっていそうな期待を持っている。

砂漠と青空のコントラストが印象的で、自分の旅というのにフィットする。

 

3ヶ月後どうなったか?

仕事では副次的に新しいプロジェクトに参加することになり、役割を与えられてやることができた。

プライベートでは車を買って、自由が広がりウキウキしている。

砂丘を上がった先には、確かに違う風景が広がっていた。

そして3ヶ月後の私が引いたカードは、雨上がりの街にかかる虹、の絵だった。

砂漠はすぎ、雨があがり、街に活気が戻り、幸福を予感させる虹がかかっている。

占いのタロットではない。

自分で自分を導いていく。確実に前に進んでいる。動き出した自分の背中を押してあげよう。