穏やかな別れは心の中に
それはとても穏やかな別れだった。
19週というとても短い生涯を終えた我が第二子との別れ。娘だった。
前日、妻の陣痛が始まり、夜間に出産を迎えるかもしれないと不安に駆られながら、翌日、私は上の子を保育園に送り、病院へ向かった。車中で届く妻からのメッセージには、陣痛の強まりと破水の知らせが並んでいた。間に合わないかもしれないという焦りと、それでも彼女に寄り添いたいという思いが入り混じる。病室へ駆け込むと、痛みで横たわる妻の姿があった。着いてから五分ほどでナースコールが鳴り、処置室へ移動することになる。車椅子への移乗時、妻は「もう出てきている」と告げた。そのまま一緒に処置室へ入り、分娩が始まった。まるで子供が私のことを待っていたかのようだった。
産声は上がらなかった。小さく、静かな我が子との対面だった。
超音波検査では頭蓋骨の形成に懸念を指摘されていたが、医院長は「経験上、見た目がひどいものではない」と慰めてくれた。その言葉を信じつつも、見えない部分への恐れは消えなかった。しかし、処置室で対面した我が子は、しっかりと人の形をしていた。手足は長く、骨格もはっきりと確認できた。
病室に戻り、夫婦で改めて我が子を迎える。
当初、妻は直視することに、トラウマになりそう、という懸念から抵抗を示していたが、別れの品を選んだり名前を考えたりする中で、少しずつ対面への準備が進んでいったようだった。
夫婦で「鼻筋が妻に似ているね」と笑い合うような、静かな対話の時間を持つことができた。そして私は沐浴をさせてもらった。ひんやりとした肌に、しっかりとした骨を感じた。背骨も恥骨も、手足の形も、立派に整っている。体を清め、病院が用意した小さな服と帽子を身に纏わせると、まるで眠っているかのような穏やかな姿になった。
小さなゆりかごに我が子を寝かせ。病室で三人の時間を過ごした。
寝ているような、穏やかな表情。目を瞑っていて、ちゃんと耳もあって。
時間がある程度たった後の表情が、不思議と口元が笑っているような、そんな表情にも見えるようになった。目元は少し垂れたような、泣いているような、笑っているような、そんな表情に見えたのだ。胸が締め付けられる。
そうして一旦お別れの時間がくる。
葬儀屋さんが、一度霊安室に保管し、2日後に火葬場で火葬を迎えることになる。
そのため、紙でできた小さな棺の中に、彼女を納め、その周りに二人で選んだ靴下やアンパンマンのぬいぐるみ、手紙を折り鶴にしたものを含め、寂しくないように家族4人を模した鶴4つで囲み、その日はお別れ。
翌日、妻は病室で、窓辺で蝶々を見たという。それがまるで娘が代わりに来てくれたような、そんな光景だったらしい。
妻を迎えに行き、翌日に火葬場へ向かった。
朝一の時間枠は温度が低く、子供の骨が形に残りやすいという。上の子の送りを済ませ、時間ぎりぎりに駆け込んだ。棺の中には、我々が用意した花に加え、葬儀屋が手配してくれた花も頂き、二人で我が子の周りを彩っていく。そうして、とても華やかな印象になった。
いつまでも見ていたい。そんな名残惜しい時間の中で、しっかりと目に焼きつかせたその表情は、病室で見た表情よりも、さらに笑顔になっていたように思う。
とても穏やかそうな顔。
それが、夫婦にとって、とても救われたような、悲しみの中に咲いた華のような別れとなった。
まさか自分がこのような経験をすることになるとは思わなかった。妻にとっては、私の何倍もの苦痛と葛藤があったはずだ。その重荷は現在も続いているが、当時ほどではない。幸いにも、小さな骨壺は、ピンク色の可愛い箱に収められ、我が家の一角で静かに鎮座している。不思議なほどに日常に溶け込んでいるのも、ある意味で良かったのかもしれない。
ゴールデンウィーク前までに一連の手続きを済ませ、連休中は家族で各地へ赴き、気分転換を図った。しかし、疲れや精神的な負担は後に身体に現れることが多く、妻にはまだ副作用のような症状が続いている。ただ、この経験が夫婦の絆を一つ変容させたような気もする。出来事を受け入れ、前に進もうとする姿勢が、確かに形になっている。この別れは、単なる終わりの記号ではなく、次へと繋がる契機なのではないか。そんな予感が胸をよぎる。
人生はままならないものだと痛感する。その直後、実家を巻き込んだ妹夫婦のいざこざが勃発した。一旦は落ち着いたものの、火はまだくすぶっており、今後の展開は不透明だ。抽象的に言えば、どの家庭でも起こりうる日常的な摩擦である。我が家も過去に通ってきた道だ。
重要なのは、夫婦二人がどう向き合い、会話と信頼関係を再構築するかというプロセスそのものだ。我が家も大小の波は今後も訪れるだろう。しかし、連休前にあった小競り合いでさえ、対話と意思の疎通によって乗り越えられた事実を思い返せば、我が家は一つ成長したのではないか、と思える。
その意味で、今回の別れは単なる悲しい別れではないはずだ。
次に繋がっていく、穏やかで愛おしいさすら感じる別れであり、その思い出は、ずっと心に残っている。
そして一つ話を加えると、上の子がこの悲しみを一緒に抱えてくれた。
妻がこの別れに際して最も懸念していたのが、上の子にこの事実をどう伝えるか、と言うこと。
赤ちゃんが出来たこと、それは上の子にとっても朗報で、日に日に赤ちゃんのいる生活のイメージが話題に出てくることが多くなった。
そうした中で、この悲しい出来事を伝えたら、どのような反応と影響があるのだろう。
そんな不安を感じながらも、GW直前に伝えた。
それはもう立派な大人の反応であった。
妻が話をしながら、上の子にもじんわりと悲しみが広がっていくのが見ていてよくわかる。話の内容はしっかり理解できていること、それをしっかり心で感じ取っていること。
うわああんという大きな声で泣き、疑問をぶつけ、一緒に感情を共有すること。
私が思う以上に、子供は一人の人間であることを改めて知った時でもあった。
こうして我が家では、悲しくも穏やかな別れを経験した。
ありがとう、さようなら、そして、またね。
そうした思いを抱えながら、生きていくのだ。
浮力
世界が変わったような感覚だった。
とある日、電話で知らせを受けた。それは全く予期していない知らせだった。
足に浮力が生じてフワフワとした感覚を覚えた。
努めて冷静に応対したが、どこかまだ受け止めきれていなかった。
この日は子供と一緒に花見をしにピクニックへ行く途中で、とても良い天気であったのを覚えている。
天気が良いので、せっかくなら桜が綺麗な少し遠くの公園でピクニックがてらご飯を食べよう。食べ物と飲み物と遊び道具など。そうしたものを揃えて向かおうしているところの知らせだった。
その知らせを聞きつつ、そうであっても、いま、子供と一緒に公園へ行くのだ。
子供は公園を楽しみにしている。今を大切に。
そんなことを思いつつ、レジャーシートを広げ一緒に遊びお昼を食べながら、世界線が変わったのかと。Aではない世界線に来てしまった、それが全く現実感が無かった。
まるで災害にあったような、どうしようもないような、まさか、という気持ち一色だった。
できるなら、あの日に戻りたい。知らせを受けるその朝に。いや、もっとその前に。
当たり前に思っていた、当たり前ではないこと。そうは思わなかった自分に伝えたい。
いや違う。本当はそうじゃない。
戻ることで、もしかすると違った結果を受け取れるんじゃないだろうか。
この世界線ではBという結果を受け取った世界にいるが、もう一度戻ることで、Aを受け取れる世界に戻れるんじゃないか。
そうしたことを考えてしまう。それほどに、ショックを受けていたのだ。
それから時間が少し経った。時間が経てば、色々と変化がある。
それは必要なことを進めていく時間と、この世界線に自分の足が着地するための時間だ。この世界に自分は生きているのだという実感、フワフワとした浮力がなくなるまでの時間。
続きはまた。
mac book pro
ここ1ヶ月、ずっと頭の中をぐるぐると駆け巡り占有している考えがあった。
それはパソコンを購入するかどうか、だ。
必要性という意味では低いのだ。現在私はmac mini m4pro と mac mini air m3 を所持しており、家でも外でも使い分けができる環境が整っている。
あえて言えばwindows PCは持っておらず、ゲームもしていないし出来ない。
そんなとき、メモリ市場で異変が起こっていることを知った。AIによる特需によって品薄感が出てきて、遂にはMicronがコンシューマー向けのメモリから撤退するというニュースが駆け巡った。消費者向けよりも企業向けの産業にスイッチするこのトレンドは、他にも影響を及ぼし、そこからメモリの価格が高騰していく流れが強まった。2026年にはより強い高騰が予想される。なぜなら商品が確保できない、もしくは企業に降ろすメモリ価格が高くなり、消費者に届く価格に転換されるからだ。
それを横目で見つつ、「ゲーミングPCを買うなら早い方が良いのでは!?」という考えもよりぎ、ブラックフライデーの時期にかじりつくように各サイトを見ていた。
ASUSU、Lenovo、マウスコンピューター、などなど。
AIを活用しながら徹底的に比較検討しながら、将来の価格高騰リスクを避けるために今ベストな選択は何か....という考えに囚われる日々。
やはりNvidiaのGPUは欲しい、 GeForce RTX 5070 Tiが良い、ノートパソコンだと8GB RAMだがデスクトップ版だと12GB RAM、メモリの増設も考えるとコスパ的にはデスクトップか、しかしディスプレイのスペックも考えるとノートパソコンで完結させるというのもありで... などぐるぐると。
そして、そこで思い出されるは、以前所持していたMacBook Pro M1proの使用感である。
ノートパソコンで完結できる、というのはやはり私自身に刺さる。自宅ではmac miniと大きなディスプレイがあるので十分のはずが、ノートパソコンを開いて、その画面の中でサクッと対応できる手軽さ、自由さ、そしてMBPの品質の高さ、スピーカーの良さ、というのが、思い出せば思い出すほど、欲を掻き立てるのだ。
そうし、当初ゲーミングPCをみていた日々は、いつの間にかApple製品をチェックする日々に変わっていた。
自分が求めるmacbookとは何であるか、AIを相手に日々分析しつつ、製備品の情報を毎日確認し、価格ドットコムの最安値のお店という手段も吟味しつつ...。
予算があるわけでもなく、しかし予算はどうにか帳尻を合わせようとも思いつつ、来る日も来る日も物欲と戦う日々。本当にどうかしている。
ここから分かるのは。「損をする」ということが、強烈な行動原理になっているということ。
合理性で考えれば必要ないのである。
しかし、同じ金額で将来買えない、損をする可能性がある、いましかない、そしてMBPというプロダクトへのロマンがつきない。
そして奇跡的にも先日、私の要望と金額的にもかなり納得感のある黄金のモデルが出てきたのだ。
これはもう行くしかない、そう思った次の瞬間には、購入を進めていた。
この先新しいmac productが出てきて、また再び大いに物欲と戦うことになるのだろう。しかし少なくとも、数年間は十分に第一線で戦える力と自由を手に入れ、とても満足している。
自分で言うのもなんだが、まさか本当に購入するとは、と驚く自分が横にいつつ、この年末に奇跡的に出てきた、この製備品との出会いに感謝をしたいと思う。
こうして私の1ヶ月戦争は幕を下ろしたのである。
めちゃめちゃ使い倒すぞ!
信頼関係
妻への不満が溜まる。
マラソンの大会に向けて、土日どちらか練習時間を確保したいと妻に話をしたら、完走しないで棄権すれば、と言われた。
子供を見る負担などを考えて、相手よりも自分のことを優先した返答だと感じた。
応援してくれるものと思っていたが、自分のことが先、なのだろうか。
なんか、がっかりだ。
これまで土日は仕事や家のことを優先してきたから、練習にあてる時間としては確保してこれなかった。休みをとって、練習に当ててきた。
大会が近づくにつれ、練習時間を確保したい考えだったが、相手の協力が得られない。
妻からは、計画的な練習ができていない、という印象を持たれている。
近くになって練習の優先度が上がってきたのは、計画的にできてこなかったからかではないか、そもそもいきなりフルマラソンは無謀ではないか、と。
いつも妻は批判的なのだ。それに時々、うんざりする。
妻が毎週半日セミナーに1ヶ月くらいかかる、という申し込みについても、私はOKした。それはスキルアップのためであるから、止める理由はないし、その間子供のめんどを見るのは仕方ない。
しかし妻の考えは違うのである。練習の頻度や時間など、程度を確認することなく、NOを言ってきた。
信頼関係がもう築けていない、ということだろうか。
少し振り返る
2025年は本当に試されるような、あるいはこれまでの歩みの途中結果を目の当たりにしたような、そういう年のように思う。
- 終わりゆく業務に結果的に最後まで担当している
- 途中でさらに人が減り、自分が前に立ち各種フォローや対応を行うことになる。
- 対応する内容は変わらず、しかし人員が少ないので様々なフォローを一手に行う。
- 同僚は休みが多く、頼れない、あるいは頼る気持ちにもなれない。
- 休日の対応のために肩代わりいただけるメンバーへの教育をする。
- 自分が袋小路に追い詰められたような感覚でしんどい。
- 自分に対する自信というものが目減りして行く感覚。
- 組織的に終わりを担当させられ、守る重視。攻める、進んでいるという感覚を持てない状況に立たされている。
- 荷物を下ろしていく
- 前述の業務のクロージング、時間と共に業務量も減っていく。
- 他に担当している業務を他の各種チームへ異常していく
- 他に担当しているプロジェクトでの関わり方も減らして行く (モチベーションの低下と共に)
- これまで関わっていた人との関わりが希薄になった
- チームが変わり、主として関わる人が変わり、これまで関わっていた人との関係性が希薄になってきた。
- 家庭優先で誘いを断ることも度々あり、それが重なった結果、相手からも誘われず、関係性の質が薄くなった。
- いまのチームメンバーは、よく交流するというタイプでもなく、全体として会社の人との付き合いの量も質も低下した。
- 近しいメンバーとも関わることがなくなり、私を中心とした人との関係図というものが薄くなった。
- 寂しく感じるが、自分から積極的に関わる感じでもないので、ある意味自然な流れだと思っている。
- 家庭環境の変化
- まず妻との関係が悪化した。9月までは良好ではあったが、10月に子供の誕生日会で、うちの両親を呼び、妹を呼び、という流れができて爆発。
- 時期的に読んでも来ないと思っていたが来ることになり、妻はそのストレスで削られ、これまで伝えても何も伝わらない、私の無理解に愛想がつき、縁を切りたいと叫ばれる。
- 誕生会の予定は変更、家族だけで祝い崩壊を回避。
- しかし私への不快感は残り、握手も無理な状態。
- LLMに相談し、妻を優先してきた実、問題が起こっているのは問題を回避してきたから、自分を無くしてきたから、と言われる。アイデンティティの崩壊。自分の感情を大切にしないといけない、いまの夫婦関係は健全ではないことを確認。
- フルマラソンへの挑戦
- パーソナルジムでの減量とフルマラソンへの挑戦。
- 残り2ヶ月を切り、30kmの練習に挫折。
- ゆるい頑張りでは達成できない。
- 自分を追い込めるか、自分を甘やかして終わるか。
- 困難な目標に対して、逃げずに練習し、自分を仕上げていくことへの挑戦。
つまり、いま危機に直面している。仕事でも家庭でも。自分の行動を変えられていないから?自分をアップデートできていないから?自分への甘え、衰え?
何が問題か理解していないのだろうか?
変わらずとも周りが変化してく、流れて行くから結果的にそれで良いと思っている、流れに合わせることが主となっている。そこに自分の意思がない、自分はどうしたいか、の声を聞く力が弱くなっているし、そうした声があるのか分からなくなっている。
自分の意思がない、あるいは分からなくなっているから、問題が起きた時にようやく気づく。遅いのだ。
反射的な生き方。リアクティブ、アドリブ的な生き方。
リアクティブするその瞬間が、自分を形取ってくれる、自分の生きる力を、活力を感じさせてくれる。
しかしそれは外部に頼った生き方。自分からは何も生み出せないし、生きている実感を感じにくい。
そうした結果がいまなのだと思う。
どうすればプロアクティブな生き方ができるだろう。
コントロールする、という言い方とは少し違う。自分の生き方を納得したい。意味を持ちたい。
自分が自分で生きていることを感じられる生き方。
それは自分が選択して決めること、自分の内なる声を広い、それを実現すること。それら積み重ねの過程で実感を広げて行く。
いま、本当に試されている。ピンチをチャンスに変えられるか、という状況。
足元はいつだって不安定
またやってしまった、と言えるのかもしれない。
妻との衝突だ。今回は危機に直面した。
もともと私の妻は親戚付合いが苦手で、精神的に苦痛を伴うようだったし、そうした機会に遭遇すると、そう言われることがしばしばあった。
私は小さい頃から親戚付き合いが普通で、妻の親と会うのも苦痛ではなく、妻の感覚が頭でわかっていても、腹には落ちなかった。どこか、人間付き合いの面倒なことから避けたいとか、億劫な気持ちであるように捉えていた。
そして、夫婦であるから、大なり小なり親戚付き合いというものは避けられないものだと思っていた。
うちの両親や兄妹とも仲が悪いわけではなく、会えばそれなりに冗談を含めて会話はできるのだが、終わった後はどっと疲れるようで、定期的に会う、ということはやめて欲しいようだ。一方私としては、どんどん老いていく両親に、孫の顔を見せるという親孝行というか半ば義務感というか、なるべくそうしたい気持ちがある。しかし妻は避けたいし、ということで会わせる機会はあまりないままだった。
先日、子供の誕生会を我が家でやるという話があがり、妻の両親を呼ぶことになった。しばらくして、うちの両親に声をかけなくて良いのか、という考えが横切った。
近いうちに法事で会う予定はあったので、わざわざ来なくても良いのだし、その法事の時に会おうと話をしていたので、来るとは思っていなかった。これを前提に妻に声だけかけてみる、と話したのがよくなかった。
妻はその場ではOKしてくれたが、誘って見た結果、来るということになった。
あれ、ということになったが、とりあえずは予定通りやることになっている。
数日後、両親と会話した際に、兄弟に声がかかっていないことについて指摘され、子供の誕生日会なんだし、声だけかけても良いのではないか、仲間はずれみたいになる、と言われ、とても複雑だが、これも妻に断りの上、声をかけたら、来る、ということになった。
ここから、妻の余裕がどんどんなくなった。子供の癇癪でも精神的にゴリゴリと削られ、部屋に閉じこもった。
子供を寝かしつけ、静かになり、深夜リビングに泣き顔の妻が部屋から出てきた。
声をかけると、彼女の感情が爆発した。
- あなたの縁を切りたい
- ずっと親族の付き合いは嫌だと言ってきたのに、伝わらない
- 私が望むことに対して、返ってくる結果が違う。嫌なことばかりする。結局なし崩し的に親族が来ることになっている。
- その結果、私も精神的に追い詰められ、子供への対応も余裕がなくなり怒りに変わる
- 子供へも悪影響だ
- あなたの親族の付き合いは濃い、私には無理、縁を切りたい
- 別居したい
こうしたことを、夜中咳を切ったように、号泣しながら言い放たれた。
このことを抜きにして、私自身も妻に対して不満はある。心の中では別居や離婚を考える場面もある。しかしそれを口にすることはしてこなかった。
今回、それを言ってきたのが妻なのだ。
彼女もまた、心の中で同じように距離を置くことを度々考えてきたのだろうと思う。
そしてそれを口にしなければいけない状況に、始めてなった。
ああ、とうとうこういう場面を迎えたか。
これがそのとき感じがことだ。
この時、私も感情に任せて、よっぽど私も別居したいと思っていた、と言い放つことは保留した。
この場で全てを決めて良いことはない。
私は自室に戻り、考えた。
子供を親に会わせたいと思う気持ち、しかし妻に配慮して年に2,3回程度しかその機会は実際には発生していないことを客観視し、私自身かなり感情や私の願望をコントロールして、妻に配慮しているつもりだが、こういう結果になるのは、納得がいかない。
しかし妻が精神的に参ってしまうというのも、頭ではわかっているつもりだ。
そして、親族の付き合いに対する彼女の拒否感も、初めてではないし、嫌だというメッセージは受け取ってはきた。それが問題である。
私は私自身納得を完全にはしてきていない、私自身の感情をうまく処理しないまま、一方で彼女を追い詰める状況を作り、結果二人とも幸せになれない場面を引き起こした。
ではもうだめか、距離を置くのが正解か。
これ以外に、こうした危機的状況を引き起こすことが他にあるか?すぐには思いつかない。
もしこの親族との付き合いだけが彼女の最大の問題で、その他は色々とあるが、そこまで大きくないのだとしたら、このtopicの取り扱いに関してのみに特別に考える必要があるのではないか?
そう考えた時、AIに壁打ちをした。そして、彼女のSOSであったこと、私がこれから取るべき選択について納得できたこと、これらを得て、翌朝解決のための行動をとった。
結果は、破滅的結果は、いまいまは回避されたように思う。
しかし、事の根本は、私自身がupdateできていないことだ。彼女のSOSをしっかり受け止め、その時点で言動が変わって良いのだが、時間とともにデフォルトに戻ってしまう、この行動様式を変えないといけない。
そしてこれは、彼女との関係だけでなく、他のことにも言える。私自身の問題なのだと思っている。
それを突きつけられた事件だった。