ノートに文字を書きながら自分を振り返っていると、「記録」というキーワードが自分の中に浮かんでくる。
自分の価値は何か。
あるいは、自分ユニークなことは何であるか。
そう自分に問いかけをしたときに、返ってくるものは「記録する」という行為だ。
ノートに書く、ブログに文字を打つ、写真を撮る、動画を撮影して編集する。
記録する手段は色々あるが、そのどれも僕は関わっている。
そうすると、僕は記録することが好きなのかもしれない。
例えばブログに文字を打ちながらこう考え文字に起こす、これもまた自分の考えの記録だ。
どれも特別なことはなく、スマホで全てをカバーできる時代。
誰もが「記録する」ことを自然にやっている時代だ。
でもそこに僕は面白さを感じているのかもしれない。
写真を撮る。これはどうやら遺伝的に授かっているもののようだ。
そういえば祖父は几帳面に日記を残している。細かいことが得意な性分だったようだ。その昔カメラもやっていたとか。
父親が日記を書いている姿は見たことがない。ノートに何かを記録する姿もだ。
代わりに写真やビデオ撮影は熱心だった。
そう考えると、記録する、というキーワードは家計的なものを感じられる。
とすると、もっとこの「記録する」ことを追求して行きたくなってきた。
このテーマをもっと大事に温めてみたい。