大切にされないと頑張れない

妻はカウンセリングを受けている。

自身もカウンセリングを学んでいたこともあり、自己分析が深いところまで進んでいる。そして、自身のもつ深い心の傷のところまで、カウンセリング通じて到達している。

その内容と、彼女の趣味は深いところで繋がっている、というのが分かってきたようだ。

彼女はもともと一人で没頭するタイプで、一人の時間がないと息苦しくなる。
だから、週末は、まとまった一人の時間が必要だ。

そこで、問題が生じる。

週末は家族で過ごしたい、家族で遊びたい、そういう時間を増やしたいと思っている私。
あるいは、私も一人の時間が日中欲しいと思っている ... これは、彼女が一人時間を得ていることへの嫉妬心からかもしれない。

平日は仕事があるので、夜子供の相手をすることに対して、妻の方が子供と接する時間が多いのと、子供の欲求などの結びつきも妻が多いので、負担は妻の方が多いのはある。
しかし、少しでも負担を軽減するよう、私なりにケアはしているつもりではいる。勿論、女性目線では足りないのだろう。

それでも、彼女のストレスは溜まるので、週末に一人時間が必要、ということになる。
それも、彼女優先の意見だ。私は聞き側だから、

一人時間が必要なのは理解する。が、家族で遊びにいく時間も、彼女がいくなら、私の一人時間も、それぞれ欲しい、と思ってしまう。

妻は自分のこと優先、自分のことばかり。

そんな暗い感情がぐるぐると胸の内を重くする。このムードを切り替えられない。暗くなる。

そういう自分が嫌だ。嫌いない自分にどんどんなっていく。流されるまま。

こうしたネガティブ思考すらも、妻の影響だと思ってしまう位だ。これは他責思考の彼女のことを知っているからこそ、私もそれに引っ張られて共振してしまっている、かのような。そう思うこと自体、私の弱さだ。

彼女が彼女の都合を言う。それを聞いた時、それをトリガーとしてぐるぐると暗い感情に支配される。頭の中では、もう心が疲れた、離婚も辞さない、妻と一緒にいると自分のことが嫌いになる、など後ろ向きの言葉ばかりが出てくる。それでまた重くなる。

「できればこうしたいのだけど、どうかな。」

そんな聞き方だけで、まったく印象が変わる。
相手を尊重した言い方。それがまったくない。
私のことよりも自分のこと。そういう考えなのだろうと思ってしまう。

そこで、、こう思うのだ。

私は大切にされたい。大切にされないと、頑張れない。

 

心がどんどん狭くなっていく。器がどんどん小さくなっていく。
そういう嫌なムードに支配される。それが生活の中で度々発生する。
大切にしてくれる人と関わりたい。
私を大切にしてくれる人と過ごしたい。

なんだか危険なセリフだ。

相手を大切にしてこそ、自分が大切にされる。
そういう場合もあるはずで。

自分の思いを伝えてみることから始めないといけない。
相手が壊れてしまわないか、というのが懸念なのだ。
これって相手を信頼していない、とも言えるのだろうか。

 

自分の悪い感情に負けずに、まず相手を大切にする。そういう心の修行である。