思い返せば、音楽に助けられていることは多くあるように思う。
沈んだ心を軽くしてくれる力。
聞いていたら心が弾むような心地をもたらしてくれる力。
ミュージカル的なものが好きで、それはシーンに合わせた楽曲が流れ、演者が歌い、その感情を存分に表現する。
そうした瞬間に心地よさを感じるし、心が軽くなる。
これって、自分の感情表現が下手なことを、画面の向こうに投影して疑似体験しているのかもしれない。
そうすると、自分の感情表現がもっと上手くなると、何か良いことがあるかもしれない。
音楽の力がそれで削がれることはないけれど、自分の感情表現はもっとうまくなりたい。
恥ずかしいとか照れとかリスクとか相手にどう思われるとか、そういうあれこれは全部傍において、自分を剥き出しで表現することの気持ちよさ。
そこに人生の味わいがあるのだと思う。
それが自分の感受性を育てることにもなるのだろう。
あーそんなこと思っていても全く実践できない僕は、感受性が育たないまま。
2年前から自己開示が課題にあるものの、なかなかそこが開かない。自分のガードが固すぎる。何をそんなに守っているのか。答えは簡単。小さな自分のプライドだ。
自分一人でなんとかやっていける、そういうプライドを持っていたいのだ。
実際には自分一人でなんてやっていけない。周りの人にいかに助けられているか、自分でもよくわかっている。
それでも受け入れられないのは、自分を人よりも上に位置づけたい感情があるのだと思う。人よりも幾分かは優れていたい。それが自分のプライド。
じゃあ実際にそうなのか、日々そのための努力を続けているのか。
そこを考えると、このプライドというものは拗れてしまっているように思う。
オープンマインド。小さなプライドを捨てる事。
僕にとってのスモールステップは、心を開き、人よりも優れていようとする狭いプライドを手放すことだろう。
と、いつもわかったような事を書いて実践できていない。
これをどう変えるか。
手放すことをどうするか。とにかく、人に学ぶ事。自分がわかっているなんて思わな良い事。どんな人にも学べる点はあるということを肝に銘ずること。
それでも足りない。
自分にこだわらない。これまでの自分を手放す。
うーん、難しい。
このtoicは今後も続くかな。