至らなさ

シングルタスクで深くものごとを掘ることが出来る人がいる。

興味心でどんどん掘る。辛くても耐えて掘り当てる。

まだまだ満足できない。

単純に、すごいなと思う。

厳しい状況でも、自身のスキルと経験値を武器に、折れることなく突き進む重戦車。なのにとっても真摯でまだまだ、と謙虚。

ほどほどに、という基準ではなく、納得するまでやり続ける力。

 

一方、ぼくはゆるいマルチタスク。マルチ、と言えるほどキャパも多くなく。

なんとなくマルチタスクのように、全体を見つつ。でもすぐにアップアップ。

周りのことをやり、自分のことはそれほどできず。自分の時間を軽くして全体の流れを優先する。

だから掘り進むこともなく、ある程度、で終わらせる。

マイペース。

良くも悪くもこれでやってきた。無理をしない。自分が無理をしていると感じたらやらない。

のっていればやり続けるけど、のっていなければほどほどに。

とっても気分。

そして人と反対のことをする天の邪鬼。

覚悟を決めて、真剣に向き合うことを避けてきた。

そうした窮屈なことから逃げてきた。

ソフトに、マイルドに。

それでやれてこれた部分と、それだと至らない部分。

今日、改めてそのことを感じた。

僕は僕のペースでやってきたが、乗り越える、というよりも適応するようにしてきた。なんとか自分のペースでできるように。

しかしその範囲を超える部分はにっちもさっちもいかない。

追い込まれたときに弱い。

この弱さ、これを磨くことが不足している。

この至らなさに行き着いた時、このままでいいのだろうか。

このまま続けることで得られることはあるのだろうか。

ここから始めることで、得られることはあるだろうか。

得られる、というより、出来ることを増やす、という感覚。

 

口ではいうが、僕は成長を望むような人間性ではない。

出来得る限りダラダラしていたいし、楽をしていたい。

うじうじしている、それが僕の原体型のような気がする。

 

それがどんなに心地よくても、どこまでいっても内向きでしかなく、刻一刻と変わっていく外の世界においていかれるだけの態度だとわかっている。

けれど自分を守れるのは自分しかいないのも事実で。

いかに外の世界と適合しつつ、このうじうじを確保するか、そんなバランス感覚でやっているのかもしれない。

 

うじうじは重しなのか、お守りなのか。

弱さを認められる人になりたい。人の弱さは分かる。しかしそれだけでは物事が良くならない場面もある。

弱さは認めつつ、尻は叩きつつ。認めて、励んで。

 

僕の興味は、人の弱さ、にあるのだろうか?