生きづらい世の中

ってものを今日少しだけ実感した。

曰く、他人の感情を自分の中で体験してしまう。共感性の高さによるものだ。

世の中には色々な人がいて、生きづらい人の感情を体験すること、その背景にある想像もできてしまうこと、そうした一切を感受できてしまうとしたら、そしてそれが人の感情なのか自分の感情なのか区別できないとしたら、他者と自分の境界が曖昧になってしまう。

感受性が高いということは、そういうことになりうる。

そして、社会の光が当たるところで活動している、いわゆる普通の人とは別に、光が当たらないところで生きている人達も大勢いて、そうした人たちへも想いを馳せると、この社会の構造そのもの自体、引いては世界の成り立ちに絶望する。

大きな視点、地球を上から見るような視点で考えると、そうした境地に至る。

この世は苦難に満ちていて、極端に言えば生まれてこない方が良い。

そうした思想が生まれる。

 

世の中の不合理矛盾不正義その他一切の愚かさというもの。そうしたことに絶望すること。

 

なるほど生きづらいとはそういうことなのか。

ほんのささやかではあるが、その意識がすこーしだけわかった夜。