戸惑い

先日の記事に書いたようにコーチの仮面を読んだのだけど、識学という組織論をそこで知った。識学とは何か?公式HPから以下になる。

 

識学は「成果の上がる組織をつくる」理論です。
組織内の意識・思考のズレを取り除き、ハイパフォーマンスな組織を作りあげます。 

 

目的は成果の上がる組織。かいつまんで言えば、人間関係などにおける無駄を排除して、組織として利益を最大化するために徹底的に効率化と最適化を行うことである。

組織のスムーズな運営として、目的と結果を明確化し、ルールによって運営することがメインになる。ピラミッド型の組織が念頭にあり、上司は絶対であり部下は目的のためにルールに従い結果を出す。軍隊のような無機質な感じがするが、そもそも仕事とは仲良しごっこではないのだから、上司は部下に嫌われてなんぼ、というのだ。

社会で生きるための糧として仕事をする、結果を出す人材に成長させる、社員は財産であると言う。

目的は組織の成果だが、社員の成長もそこにある。成果を上げるには社員の成長が伴うから。

言っていることは分かるし、真実性もある。綺麗事だけでは社会は回らない。仕事とはそもそも厳しく辛いものだ。社員同士で馴れ合うような場所でもない。

一方で、組織の歯車として、ある意味プログラムの一つとして人を見たような感もある。言っていることは正しい。組織の利益が確保できないと、社員の雇用も守れないのだから、まず組織が利益を出さなければいけない。だから人を蔑ろにする、という話でもない。

そう考えると順序は正しいのだし、言っていることは正しい。

それでも、冷たく感じてしまうのは、なぜか。と思った時に、これが感情論であり、組織においてその感情が正に邪魔なのだ、ということになろう。

たしかに社会は学校ではない。厳しい競争社会だ。でも人と人との営みの大切さも間違いなくある。利益があるから人がいるのではなく、人がいるから利益が出るからだ。

 

コーチングを学んでいると、どうもこのあたり僕の中でエラーが起きる。うまく処理できない。

自分自身の発見を促す、そのことで会社の利益に繋がるようなこと。

自分自身の発見、は自分自身のためであり、会社のためではない。

しかし仕事におけるコーチングは、業務の課題に対するコーチングになるであろうから、つまりそれは会社の利益に繋がるものなのだろうか。個人に焦点を当て、その結果が組織の利益になること。

そう考えると結びつく?

個人の尊重、というのが僕の根っこにあるのだけど、それと仕事のやり方というのは区切る必要がある部分があって、もっと言語化してクリアにしたい部分である、ということがわかった。

問いかけはこうか?

 

個人の尊重と組織の利益は、両立可能か?両立可能だとすれば、それはどの程度、どのラインまで可能だろうか?