を久しぶりに読んだ。
ここのところ、自分がどうしたいのか、悩んでいたからだ。
ざっとこのあたりを記憶した。
- 意味付けの大切さ
- 大きな共同体に目を向ける
- 課題の分離
- 転がる石ではなく、自ら坂を登る石となる
- いまを真剣に(しかし深刻にはならず)生きる
- 他人が協力するかは関係ない。いま、自分が始めるのだ。
- 迷ったら他者貢献
人生をシンプルにすること。自分自身が自由で生きるためには、相手の自由を認め、かつ他人の評価を切り離し自分自身のために真剣にいまを生きたほうが良い。そのことで色々傷つくこともでてくるし、何より嫌われることにもなる。しかしそれは時として自由を得るためには必要なことで、自分の人生を生きるには避けられない。
そうした勇気をもつことが生きるということになるのだ。
その覚悟と実践ができると、シンプルに生きることができる。
さて私は複雑な人生を生きたいのか、シンプルな人生をいきたいのか。
組織の中で働くこと、そしてその地位が高くなると責任もついてくる。すると自分の課題の中に他者の課題も入り込んでくるのではないか。あるいは、課題を上手に分離しお互いが自立した働きをできる環境を整えること? 違うな、自分の課題の中に、他者が実施した結果の責任が含まれるのであって、そのことと他者の課題はまた別か。
失敗を恐れるあまり、自分の課題を必要以上に増やして複雑化させているのは自分ということかもしれない。
すると、視野が狭いのかもしれない。もっと広い視野をもとう。会社のある案件での失敗、それが全体のどういう位置にいるか。そしてその会社の外から見て、社会のどの位置にいるか。あるいは私の人生のごく一部において、どのような位置にいるか。
失敗すらも経験と成功の糧にできること。それを引き受けられる度量。
そんなことを考えた。