月を眺める

ベランダで椅子を並べて妻と月を眺める。

涼やかかな風に吹かれ、小さな雲が月を時に包みながら流れていく。

月は半月でありながらも、ずうっと見ているには眩しいくらいの輝きを放っている。

ふと、地球の影で隠れているはずが、なぜあんなにもまっすぐ半分に見えるのだろう。

と思って部屋に戻って調べたら、月を横から見ているから半月に見える、という記述がネットにあった。地球の影、というのは月食のときに発生するものだと。

なるほど、地球の影が常に位置してその大小で変わっているのだと誤解していた。

 

それはそうと、僕は考えているようで考えておらず、ただ思い返していたり思いを巡らしているだけなのだ、と読書の中で気付かされた。

例えば、頭の中をパソコンに言い換えてみると、CPUが考えを広げる深める、という作業に使われるものとしたら、メモリは、頭の中でイメージを描写したり記憶を振り返ったり、それら既に知っているものを展開すり場所にあたり、僕はどちらかというとメモリばかりを使ってCPUを使っていないように思える。

CPUを使うには、頭の中に浮かんでくる言葉をメモに書き出す、つまり外に出してしまう。言葉が頭で浮遊するとその連想で頭の中が消費されて何を考えていたのだろうか、となってしまうためだ。言葉を外出しして、CPUの目的に叶う使い方をする必要がある。そういうことで、いま自分はCPUを使っているのか、メモリを使っているのか、という客観視はなかなか良い視点のように思える。