手放す練習

自分の考えや意見に拘りすぎる、自分のやり方が正しいとまではいわないが、そうじゃないと居心地が悪い。自分流で進めたい。

そうした拘りを手放していきたい。

自分のクオリティが正解とは思わない。ただ、そのクオリティが周りにとって適切なものではなく、頑張りすぎ、と言われることがある。

もっと自分ではなく相手に任せる。

困った時に相談される人間になる。

僕はどちらかというと、問題を未然防止するためにあれこれ先読みして細々動いてしまうところがあって、それが頑張りすぎ、と見られるところなのかもしれない。

問題は起きていい。起きてはいけないのだけど、あえて言えば起きていい。で、それを機会にメンバーあるいはチームが学ぶなり対策を打つなりして、適応していければいい。そのための問題。

なのだとしたら、学習機会を奪っているのか?でも問題が防げるならそれに越したことはないのでは?

実は、僕が問題だと思っていることは、問題ではないのだとしたら?

しかし、問題が起きたら面倒じゃん。起きた後に対応するよりも、起きる前に打てる手は打っておいたほうがいいじゃん。ベストを尽くす、とまではいわないけれど、できることはやろうよ。

ここがギャップのようだ。仮にそれを100としたら、他の人にとっては50で良いらしい。

50やって、問題が起きたら対応する、と。

差分の50は、やりすぎと見られる。

 

わかるところもあれば、わからないところもある。

 

自分一人でやっているなら、そこまで悩まないのかも。

チームでやるということは、人に任せないといけないのだから、そこで自分のやり方を押し付けてはいけない。相手には相手のやり方がある。それが50のように見えたとしても、それを許容しないといけない、ということだろうか。

うーん、でもそこはせめて80くらいは目指そうよ...とか思うと元の木阿弥なのだろうか。

 

こうした拘りを、手放したらどうなるか。

案外何も起こらないのかもしれない。

すると、もっと力を抜けるようになるのか?

僕自身は、頑張っているつもりは実はそれほどなくて、むしろそこまで頑張れない方で。

比べる人によって、そこは相対的なものだ。頑張っている人は、もっと頑張っている。当たり前のことだけど。

 

人によって、シフトダウンしている様に合わせてシフト調整しないといけないっぽい。

その人のクオリティーに合わせろ、と。

そこで僕は思うのだ。仕事に対するクオリティーのことを。

それって怠慢じゃないのだろうか。

がしかーし。それを語るほど僕はクオリティー出せていない。もっといえば違う仕事に対してはモチベーションだだ下がりで、クオリティーを出そうとすらできていない。

 

なんだかタイトルからかけ離れていくが、とにかく、手放すこと。

上手に手放すことを、学ぶ必要はあるらしい。