今日はささやかな満足を感じた。ちょっと良い仕事したかな、と思えること。
それは何かというと、終業後、周りのメンバーが仕事を終え、私も終えた後、他のチームで少し判断に困りそうな仕事が発生していた。そのチームをサポートする立場にあるが、彼ら自身で判断する、ということを見守ることもできた。しかし、すぐに終わりそうな内容でもあって、かつ他のメンバーは反応していない(もう終わっているので)ところ、私が手助けをした。
結果すぐ終わる内容で大変なこともなく完了し、お礼も言われた。
サポートする立場なので、それも仕事の内ではあるのだが、最後に少し良い気分で仕事を終える事ができた。
なぜなのか、振り返ってみよう。
- 自分の力で助ける事ができた。
- 軽々とサクッと解決できた。
- さらに先にいる部署のことも考えてアドバイスも添えた。
- 自分らしい気配りや丁寧な仕事をした。
自分のやり方が正解だと思っているからこそ、他のメンバーにも同じことをしてもらいたい、と思う自分がいる。
しかし、自分のやり方が全てではないとも思うし、自分のやり方を正として相手に押し付けたとき、相手がどう思うか。自分ならイラッとする。
ここで少し話は脱線するが、人は何を基準に情報を受け取るか/記憶するかというと、要は「好き」か「嫌いか」が基準らしい。
脳にはA10神経というものがあり、何かを記憶するときや、何かをするときに、「良い気持ちになる」ことがより「やる気」を引き起こすらしい。
「A10神経」には、私たちが何かをしてうまくいったときに、いい気持ちになる仕組みがあります。
知的なことを行っていると、A10神経が刺激され、脳内麻薬物質が出て「もっとがんばろう!」という気分になるのです。
そのため、相手を無理強いしたり高圧的に接したりすると、「嫌い」という感情を引き起こしてますますそれをしたくなくなるような気がする。
同じように、何かを知ろうとしたり学んだりするときに、苦手とか嫌いとかを先入観もって持つよりも、まずは好きになろうとすることがポイントなのかもしれない。
とは言え、無理に好きになる、というのも難しい話なので、「好きかも」と興味を持つ事が自分にできる事だろう。
「仕事したな」からはちょっとずれるけど、「良い仕事したな」と思える満足感は、「うまくいった」から「良い気分」になったことで生まれるものだ。
「うまくいく」ことの種は、「好きかも」という興味を持つ事から始まるのかもしれない。