ドライブ

突然だが、車を買った。

昔所有していたが、手放し、生活で再び必要になって購入した。

子供ができ、車がないと何かと不便。しかし経済的にシェアカーで対応できればその方が良い。
だからシェアカーでの生活を続けていたが、シェアカーだと不便な点もいくつかある。

  • 1回の利用は中長距離以上の遠出が普通になるので、1回の利用料金はそこそこ良い値段になる
  • 普段使いにわざわざ借りない
  • 駐車場から多少の距離がある
  • 都度チャイルドシートを取り付けるのが大変
  • 荷物を置いて置けないので出し入れが毎回必要

これらを許容して使用してはいたのだが、やはりいよいよ子供との移動が大変になってくるのと、移動手段が億劫で外出控えする、行動範囲が狭いままで楽しくないなどを感じることが多くなってきた。

妻は妻で移動の大変さ以外ではシェアカーが車種の利用状況によっては汚い車もあり、それに嫌気を感じる。

そうしたことで、以前から欲しいと2人とも思いつつもなかなか手が出ない車を、思い切って買うことになったのだ。

 

具体的に購入を考えていない段階で、トヨタの新型シエンタに惹かれていた2人だが、ライバル車であるホンダのフリードに夫婦で一目惚れしてフリードを向かい入れた。

2年落ち1万kmほどの中古だが、前のオーナーが綺麗に使っていたのでかなり状態が良い。車内の臭いは妻曰く「新車みたい!」と思うほど綺麗なものだ。
人気では無いボディー色のようで、相場よりもかなり安い価格設定だった。ネットで前もって調べてはいたが、直近で気にはなっていた中古車ではあった。
とはいえ、中古車周りを始めた最初の1店目でそれを見て、夫婦ともそれを見て即決するとは思ってもいなかったけど。

オプションも内装はほぼフルフルの充実。ディーラーでつけたナビのキャンセラーが備わっていることを納車時に知ることになり、ネットで買ったキャンセラー部品が無駄になるというサプライズもあった笑

ディーラーの担当者もユーザー目線の親切な方で、本当に良い買い物ができたのだ。

 

欲しいなぁと思いながらもなかなか厳しいよねぇ、と定期的に繰り返すことが多かったが、家計のこともあるが不便さが上回りストレスフルの生活よりも、家計を頑張り生活の質を上げることを目指して購入に踏み切った。

その行動に出て本当に良かった。

昔仕事で運転していた時間も長く、ドライブはもともと好きだ。
車での移動は余計なことを考える時間が減り、デトックスになるし、娘を連れてちょっと遊びに行く、ということも出来るようになった。ついでに買い物をして荷物を気にすることもなくなった。家族での旅行もこれから楽しみだ。

フリードはi-DCDと呼ばれるモーターとエンジンの両方を使うデュアルクラッチ機構を持っており、燃費走行をするにも運転には慣れが必要そうで、それもまた運転の楽しみ。

家族で色々なところにドライブする楽しみ。とてもウキウキワクワクしている。

青い鳥

前回の記事から2週間が経ち。その間にちょいと色々とあった。

仕事は忙しくなり、プライベートでは国内旅行をひょんなことから一人で行き。

それなりに充実している。

するとどうだろう、現状が多少充実すると、それで多少満足している自分がいる。

新しい動きをしようとか、転職しようとか、そういう方向へのモチベーションが落ち着いてしまった感がある。

だが再び同じ気持ちになるだろう。いま良くてもまた訪れるのだ。

 

他方、転職活動へのモチベ保留には、一つの懸念点が隠されている。

仕事の面で大きなトラブルを経験中で、いま自分の実力に疑問を向けている。

これまで培ってきたエンジニアの経験がある一方で、途中アドミンやマネージのところに注力してきた結果、自分のエンジニア経験が薄まり未熟であることを再確認している。

そして、マネージ力についても私はあるのだろうか。

 

負荷をかけずに程々に行う、という頑張らないやり方をしている自覚があり、それによって具体的な向上心というものが芽吹かないような。

これは目標の欠如であり、モラトリアムを過ごしているようだ。それ故の自身の減少。

だから環境を変える、という選択に至るのだが、私が得たい目標とは何だろうか。

何かに取り組んでいたい、しかしその魅力的な何かがない。

 

ここまで書いてふと思ったが、青い鳥症候群にかかっているのかも。

ミッドライフクライシスに青い鳥症候群

 

はてさて。私は自分をどうしたい?

 

 

一方で違う観点を入れてみる。生存戦略として自分がどう動くか。

なんとなく、私は目に見える商品をお客様に利用いただき喜んでもらう。そこに確かな感触があるような仕事をしたい、と思う。

プロダクト。

自分がファンになるようなプロダクト。それは一体何だろう。

抜け出していく

少しずつ、抜け出していく感覚がある。

 

口に出して悩みを相談するというのは本当に大切だ。
カウンセリングとコーチングをそれぞれ2回ずつ受けた。
結局のところ、いまの悩みは今後の生き方が根底に関わっている。

仕事のこと、家事育児のこと、そしてそれらバランスのこと。
ずっと悶々と悩んできて、でも一度は捉え直して続けてはきたが、やはりどうにも納得はしていないし、このままではしんどい。
そこで4月、5月と39度を超える高熱をたまたま2回経験したが、これも身体からのサインなのだろう。

この間、以下の点が意識にあがっている。

  1. バランスを崩してみる
  2. 外の世界ではなく内の世界に目を向ける
  3. 頭ではなく心で判断する

特に3つ目が特に大きい。これは以下の本を読んだことで強く思うようになった。
これまで理性による判断ばかりだった。それで心が、身体が疲れてしまったのだ。
いまここで、心を大切にする時が来ていると感じているし、カウンセリングの先生からもそう教わった。

 

そして自分の中の価値観に気づくこと。これはコーチングの中で、自分の4つの価値観を認識した。

あとは心の声を大切にして、その声を尊重することだ。

自分の人生を生きたい。
置かれた環境のこと周りのことを優先するのではなく、自分のことを優先してあげる。
自分が本当に好きだ、楽しい、と思えることをやる。

頭ではなく、心がそう感じている。

 

動いて試す

ってほどのことじゃないかもしれない。いやそんなことはない。

前回の記事以降、動き出した。
具体的には以下だ。

  1. カウンセリングに通い始めた
  2. 前から気になっていた人のコーチングプログラムを申し込んだ

 

自分の課題としては、それぞれ以下が対応している。

  1. 人に本音で相談ができないこと、それにより人間関係構築が難しいこと。それを打破するために本音で人と会話できるよう自己開示力を高める (防御力を弱める) ために、カウンセリングを受ける。それにより、自分の気持ちや感情をきちんとキャッチできるようになり、それを言葉にでき、相手に伝えられるようにすることを目指す。
  2. 自分でキャリアを構築する、自分で選択肢を選んで行動する。そういう力が今弱っているように思う。自分がどうしたいのか、何をやりたいのかが分からない。袋小路のままの状況を打破するため、自分が本当に目指したいものをクリアにする。そしてそのための行動を着実に継続して行えるようにするため、コーチという伴走者の力を借りることにした。

 

それぞれ初回のセッションは終わり、次のセッションだ。

というところで、体調を崩した。年齢的なものなのか、細菌から来る炎症による高熱。
何かの合図だろうか。

もうずっと自分の状況をネガティブに捉え続けている。自己否定がずっと続いていて辛かった。どう考えても良い展望が生まれず、このままでは自分が今の環境だけの価値しか出せず、外で価値が出せない人間になっていくようで怖い。いまの環境で自分の殻を破れない自分へのもどかしさもあるし、メンバーの経験・成長を考えて自分のプレイヤーとしての動きを無くした結果、プレイヤーとしての自信も小さくなり、一体自分はどこに向かっているのだろう、という不安がいつもある。

そうした上での体調不良。ストレスで身を焼いたのだ。

 

ずっと悩んだままで解決できないから。

そんなところにこの記事を発見した。良い記事。

悩むというのは手が動いていなくて、新しい情報を得るためのアクションができていない、そういった状態の時にぐるぐると悩んでいる状態になりがちです。

悩んでいる人に「がんばって考えてみなよ」と言ってもけっこう難しくて、悩んでいるということは、手が動いていない状態です。でも頭は回っているので無限ループみたいな状態になってしまって、なんか苦しいから仕事しているという気持ちになっちゃうんですよね。

実際には、悩んでいても仕事は進まなくて、考えていないと仕事は進みません。悩むは「状態」で、考えるは「行動」だと理解して、手が止まっているなと思った瞬間に、「今ちょっと悩んじゃっているかもしれない。次の行動を考えてみよう」とサポートしたり、手が止まっている人に対して「一緒に次の行動を考えてみよう」と提案したりすることで、組織の中での不確実性を下げるアクションが効率よく回ります。

 

ぐるぐる悩んでいてもつらいだけ。
手を動かしていく。分解して小さい部位にして一つ一つクリアしていく。
そこから始めないとこのぐるぐる地獄は抜けられない。

1人では脱せられなかった。だからカウンセリングとコーチングに頼ってみた。

 

自分を救おう。

おっと

久しぶりにメンタルの深い落ち込みを感じた。吐き気を覚えた。

  • 仕事が楽しくなく行き詰まりを感じており次が見えない状況が長らく続いている
  • 家庭への対応
  • 副業の行き詰まり
  • 自己実現がどれもできない無力感に襲われている
  • いや、やればできる、というような根拠のない自信が多少あり、でも本気出してやらない、家庭の対応があるからできない、というようなブレーキを踏んだ言い訳のような状況が長く続いている
  • 実際に何をどうすれば良いか分からないのだ。
  • 小さく分解してできることから行動すれば良いのだろうと頭で考えても、実際に分解することも行動することも叶わない。
  • 気力が湧かない。
  • こうした悩みを、誰か身近な友人に相談すれば良い、愚痴れば良い。
  • 言葉にすれば少しは楽になるのではないか。
  • だが、相談できる友人が近くにいない。
  • そもそも相談しようとしない。自分のプライドが邪魔して相談できない。

 

これまで自分はどうしてきたのだろう。
過去に一度自分から動こうとして中断となり、結果異動になった、という体験がある。
今回のこの行き詰まり感は周期的に前回と重なるものはある。
だが今回は自分のパーソナリティの部分にまで目が向いているというか、自己認識をし直している感がある。

  • 自分に相談できる友人がいない、という事実にやられている。
  • そういう人間関係の作り方をしてきた自分の距離感をいま思い知らされている。
  • こうした状況を作ってきたのは他ならぬ自分だ。
  • これまである程度自己解決・自己納得してやってきたが、今回はそうもいかなくなってきた。
  • 自己開示して人に相談する必要性というのをこれまで以上に感じている。
  • もっと言えばカウンセリングの必要も感じている。

ストレスに弱くなったのだろうか?
いや違う。刺激が少なくなり身体を動かすことが少なくなってしまい、負の影響を受けやすくなってしまっているのだと思う。

ただそれは環境要因の話だ。

根本的に、いまの状況を変えたいし、自分をより良くしたいし、心から楽しいと思える日々を過ごしたい。仕事でも家庭でも。気分良く過ごしていたい。

しかしそれが実現できていない。

自分が本当に楽しいと思えるものが何か分からなくなってしまっている。

ライフワークバランスを優先した結果、日々の安定や日常の幸せという充実はありつつも、その日常も日々闘いと疲弊で決して楽なものじゃない。

日々を優先することで、自分と自分の将来というものが見えなくなってしまった。

自分って何が楽しかったんだっけ。

自分が好きなことって何だっけ。

 

  • 疲れてお酒とアニメで休憩しても、何も残らない。
  • 頭空っぽにして現実逃避を重ねた結果、年をとっていくだけだ。最近その実感も高まっていて、余計に落ちる。
  • なんで落ちるのか?何の進歩も成長もなく、ただ閉じた世界にいるだけ、モラトリアムを過ごしているだけ、そうして外の世界に取り残されていき距離が広がっていく。
  • そういうことを感じているし、それで焦る。
  • 焦る必要なんてないと思っても、実際このままで良いと思えないし楽しくもない。
  • じゃあ変えれば良い、変われば良い、のだが、何やら気力がない。

 

というループを過ごして思考停止状態だ。

  • 外からの変化、ラッキーを待っていたりもしたが、それは一向に起きない。
  • そもそもどんな変化やラッキーがあれば自分は納得するのか。
  • きっとそれがあっても、また違った不満を持つのだろう。
  • であれば、自分で動くしかないのだ。自分が納得できるように。
  • じゃあどう動けば良いだろうか?

と、ループになる。

 

やはり人に相談しないと道が拓けないのだろう。
しかしそうしたところで、本当に自分は納得するのか。
答えを教えてほしい、みたいな心理状態になっている。弱っているから。
でもそれでは乗り越えられない。
これを乗り越えることに意味があると思っている。

時間ばかりかけて回り道というか同じところぐるぐるしているように思えるのだが、人に聞いてさっさと次に行った方が良いのではないか。

じゃあ誰に聞くかい?

変化

先日繰り返しというタイトルで状況を書いた。

一方で、小さな新しいチャレンジの仕事はある。しかしこの仕事の先が不透明でかつどこまで有効性があるのか、価値のある仕事なのか、を疑ってしまう。
自分でブレーキを踏みつつやっているので、楽しめていない。これが問題だ。

自分の心の持ちようで仕事の見方も変わる。先の分からないことを考え予測してモチベーションを下げて仕事をつまらなくして今をダメにしてしまうようりも、考え過ぎずに全力投球して楽しんでみることが大切なのだ。

そう思いながら、定期的に不安や自信のなさに襲われて下がってしまう。
これを自己管理するのが試練なのだと捉えよう。

 

もう一つ大きな変化がやってくる。英語である。
スキルとコミュニケーションと英語。
自分の価値を高める試練。
組織的に大きな指示が下れば、その課題をクリアしようと具体的に躍起になる。それは1人ではなくチームで乗り越える必要があるから、前向きになるのか?

繰り返し

似たようなことを繰り返している気がする。

  1. 仕事の悩み
  2. 自分がどうしたいか
  3. 仕事と家庭のバランスと時間の分配
  4. 家庭における課題

 

1.仕事の悩み

同じ仕事を長年しており、かつその仕事が縮小しているし終わりが見えている。
事業そのものも変革しており、組織的にも状況はどんどん変わっており、縮小の中で新しいやり方を見つけていく必要がある。
そうした中、いまの仕事の行き止まりは見えており、新しいことをしていく必要があるのだが、組織としての戦略や方向性が見えてこず、時間だけが過ぎていく。
その中でいまの場所に居続ける強い気持ちが湧いてこず、目の前の仕事に対応しているだけで楽しくない。
この状態はよくないが、この心理状況で転職するのもよろしくない。
そこで2.に繋がっていく。

2.自分がどうしたいか

ワクワクしていたいし、自分スゲー!と自己発見しながら成長していきたい。自分の適性を活かして、周りの/関わる人達の役に立ち、感謝される・尊敬されるような人間になっていきたい。自分が直接価値を提供できる存在になりたい。
今の環境はワクワクがないが、それは俺のマインドが後ろ向きになっている影響もある。マインドセットがなかなか変えられない。ならば環境を変える、というのも手段にはなってくる。鶏と卵のような。
いまの職場でそれができないか?
中々できていない。浮き沈みで言えば沈みが多い。2年前と同じ悩みを持っているので、何かを変えなければいけない時期かもしれない。

 

3.仕事と家庭のバランスと時間の分配

これは本当に難しい。家庭優先をしているが、すると自分の時間が無くなる。自分の時間があっても、疲れていて休憩したいことが多く、アウトプットやインプットの時間にすることができない。
それも楽な時間の過ごし方ばかり選んでしまっているのが原因だ。
自分の甘さが、どれも中途半端にしてしまっているのではないか。

 

4.家庭における課題

これもそうだ。妻へのケアが十分ではないし、自分のコップを満たせていないから、相手のコップも満たせない、という状況に陥ってしまっている。
だから妻から見て僕の家事育児の積極性が疑われるし、協力的でないと言われてしまう場面が出てくる。もっと悪ければブチギレられる。そして育児のストレスでギリギリの場面が出てくる。
自分としては家庭優先のつもりでも、その中身が十分ではない。
相手のことを考えた言動というより、自分のことを優先してしまっていないか。
全てにおいてそうではないが、相手が不満を募らせてしまう状況を作っている要因は自分にもあるのは間違いない。